
穴沢 勝です。
ここではボクの
・これまでのまでの生い立ちと歩み
そのストーリーを時系列で載せています。
埼玉県川口市に次男として生まれる

↑小学6年生の時
埼玉県川口市で生まれました。
背の順は一番前。
体重は確か4800グラム
超巨大児だが
3月生まれということもあり
頭の方は成長が遅かった。
ですがクラスでは人気者で
常に周りに人がいる・・・
そんな感じの少年でしたね。

学校の卒業文集で
死ななそうランキング
人気があるランキング
大物になりそうランキング
で1位を獲得
小さい頃はもう人気者で
その影響が大きくて大人になって皆が求める
自尊心
だとか
自己肯定感
だとか
こうゆうものは幼少期には
満たされていた。

↑小学5年生の時

↑中学1年生の時
18歳 専門学校へ

↑埼玉県理容美容専門学校に入学
小さい頃の夢は料理人。
今でも料理は得意、
そしてそれを仕事にしたかった!
ですが同じ業種の父の反対で仕方なく
親戚がやっていた理容室の道へ・・・
やるからには
「いずれ店をもって繁盛させる」
という想いを持って
埼玉県理容美容専門学校/理容科
に入学することに。
20歳 新規OPEN店へ就職

↑当時のお店、コテコテの理容室だった
学校を卒業し西川口にあるヘアサロンに就職。
いずれお店をもつことをこの時から考え
新規オープン店のお店を選ぶものの
給与は11万
まぁよくこんな条件でやったなぁと・・・。
・社会保険なし
・通勤手当なし
・福利厚生なし
今じゃ
考えられん・・・
でも目先のお金などあまり
興味なかった・・・。
仕事を早く覚えればすぐ
昇進するだろうと考えていたからね。


↑当時カットしたスタイル
今だから言えるけど
お金があればお店はもてる
お金があれば社員も雇える
でもお店が繁盛するかどうかは
完全にオーナーの手腕による。
新規OPEN店とはいえ
最初だけしかお客様は来なくて。
だから日によっては0人なんてことも。
そんな現実を知っていくことが
できたのはとてもいい経験だった。
21歳 退社して美容室に転身

*当時お世話になったオーナーのご家族
当時は9:00〜18:00時まで働き
その後の練習をする日々。
そもそも営業中に練習すればいいのに空いてる時は
・店内の掃除
・ポップ作り
なんていうことをしないといけない。
お客様が来なければ
・お店など汚れるはずもなく
・店の商品など売れるはずもなく
熱意とは裏腹に全く仕事を覚えられない。
ということで1年間はほぼ雑用・・・
仕事の経験を増やせずひたすら
モヤモヤした毎日を過ごし・・・
もう不毛な毎日にイライラ。
そんな中事件が。

↑周りがキャリアを重ねる中自分だけ成長していない気がしてた
ある日、オーナーから
薬剤の調合を頼まれてね、
言われた通りに薬剤を調合。
でもそれを違うと言われた。
(確かに言われた通りに作った)
自分はそう言ったんだけど
相手の主張は異なり・・・
結局
言った言わないの言い合いに・・・
これがきっかけになり
お店を辞めることを決意。
この前から辞める火種を
自分で探してたのかも。
自分が仕事したいのにできない現実
があってわずか2年で退職を決意。
22歳 アシスタントとして

*1店舗目は理容室、ここは美容室。
埼玉県東浦和にある
美容室パスタイム
埼玉では当時かなり有名な店。
選んだ理由は混んでいるから・・・
とにかく混んでる店がいい。
変な言い方かもしれませんが
疲れきりたい
そう思っていた。
1店舗目の教訓を生かし
大きな会社に勤めるのです。

*切磋琢磨する日々
しかしフタを開けてみればここも雑用ばかり。
雑用
雑用
雑用
雑用
雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用
どんだけやらすねん
やらしてもらえる
技術はシャンプーのみ
しかもそのシャンプーすら
1から教わることに。
とにかく自分の気持ちを抑え
必死で仕事をしましたが
「手配りで3000枚ね」
とポスティングをお願いされた時は思わず
「えっ、なにこれ?」
とこれが自分のやりたかったことなのか何度も考えた。

↑面倒を見てくれた先輩
23歳 変わらない日々

23歳になりアシスタントのまま。
この時この道を諦めようか
すでに迷っていた。
なぜならほぼ毎日のように
成長できない日々を過ごしたから
・先輩の不機嫌で怒られていいよ
・給与別に上がらなくてもいいよ
・いくら雑用を課せれてもいいよ
ただ前には進みたい・・・
ただ技術は覚えたい・・・
頼むよ
って常々思ってた。

↑もはや仕事も楽しんでいなかった当時
辞めようとは思いつつ1店舗目を辞めた
ことを実はずっと引きずっていた。
うまくいえませんがココを辞めたら
”辞めグセのようなものがつくのでは?”
という自分への不安があったから。
そしてそうゆう人間に
なりたくないと思っていたから。
だから環境のせいにしながらも
続けていたと思う。
でもある時気づく・・・
「この環境に文句
言ってても仕方なくね?」
って。
でここから練習方法を変え
さらに自分を追い込んでいった。

↑サロンの代表として大会に出場した時の写真
↑当時の担当したモデルののヘアスタイル
24歳 ようやくスタイリストに

↑試験に合格した際のお祝いのすた丼
24歳の時にスタイリストに昇格、
ここまで4年もかかった。
でもスタイリストになっても
ヒマな時は他の人の手伝い。
つまり待っていたのはほとんど
アシスタントと変わらない毎日。
なぜなら売上がなかったから・・・
(入客さえすれば売上も伸びるだろう)
こう思っていた。
でも指名売上は20〜30万。
指名って嫌なもんでね、
担当した人が次自分を指名してくれないと
人間性まで否定された
気になる・・・
もうね、結構メンタルやられる、
そうやってみんな辞めていく世界だった。

↑先輩に練習を教わる日々
売上が低いからこそ手が空いてしまう
手が空くから他の人のヘルプに入る
「俺なにをしてるんだ?」
「これ独立できるのか?」
そう思うことが増えついにあることを決断。
それは店舗の移動。
東浦和店ではなく大久保店に移動に
なるよう間接的に社長に働きかけることに。
25歳 大久保店に移動

*スタイリストになっても熱意は衰えず
ここに移動したかった理由。
それはここに
全店舗で売上1位
のスタイリストがいたから。
ここの店長は他店の店長に比べ
グンを抜いて売上を出していた。
この仕事ぶりを徹底的に
真似ようとそう思った。

*店長にとにかく気に入ってもらえた
今考えてもこの方を
超える人はいないと思ってて・・・
それぐらい技術を持ってた人。
とにかく繊細な仕事ぶり・・・
普通、髪の毛と言うのは
10~100本単位で切ってくけど
このかたはもはや
髪の毛1本
にこだわるような
そんな方だった。

この人の技術を徹底的に教わる日々。
1人終わるたびに質問に行く毎日。
今思うとここがものすごく
技術が伸びた時期だったな、
もうそれはそれはそれは
嬉しくて嬉しくて
しかたなかった。
本当に毎日輝いてたって思う笑
26歳 答えを探しに・・・
この人の技術を習得するまでに
費やした時間は1年。
この方からは
「もう俺との技術は遜色ない
ぐらいになっているよ」
そう言われるぐらいまでに。
27歳 多くの仕事を経験

その後も売上は平行線のまま。
答えを探そうと思って見つからない・・・
(そうは言っても動かなくては)
こう焦っていた。
当時のぼくの貯金は0
ウィッグ100体買って
10万円のハサミ買って
だからお金なんて貯めれない。
調べると開業に必要なお金は900万
融資を受けるには自己資金が
3分の1は必要なので300万
もうコツコツ貯めるしかなかった。
↑服は先輩にもらっていた、もう超貧乏
当時の手取りは20万円ぐらい。
節約して月5万円を
貯めたとしても5年かかる・・・
(時間を無駄にしたくない)
こう思い副業を決意。
ここから毎日19時にはサロンを出て
深夜まで色々なところで働くことに。
居酒屋、精肉店、清掃業、問屋、スナック、本の仕分け、バー、ヘアメイク、コンビニの夜勤、イタリアン、ライン工、饅頭の詰め物、ホストの食器洗いなど
休日は丸一日働きっぱなし。
365日働く日々を
3年間続けた。
寝なくて平気だった。
(目標に対してここまで
強い気持ちがあるなんて)
自分で自分に驚いた。
28歳 答えが見つかる

↑相変わらず売上は伸びない・・・
これだけやって
自分の努力と現実の結果がつり合わない。
毎日、そう思いつつ
(自分は美容師は向いてないのでは?)
とさえ考えるようになっていった。
独立の資金は貯めてたけど
開業してうまくいかせる自信はない。
結局、自分も最初に勤めた
オーナーと同じ道をたどるのか?
そう思う日々だった。
そんなある時
「美容師 やめたい」
などとネット検索をしていたら
あるブログ記事を見つけることに。
もうそこに書いてあることがあまりにも
衝撃的の内容
たった。
それをみていてもたっても
いられず連絡をすぐにした。
お会いできないかとの交渉をして
お返事をもらい会うことに。

↑その方のイメージ
カフェでお会いした僕は
・売上が全くあがらないこと
・美容師を続けるか迷ってること
・どうしたらいいかわからないこと
失礼にも相手が喋る前にベラベラと
自分のことをひたすら話していた。
気が済むまで話をした後
その方はこう述べた。
「君はとても頭が良くて勉強家だ、
だからもう美容師の勉強はしなくていい」
まさに耳を疑う一言だった。
ボク「えっ?しなくていい?」
その方は続けて
「これからは美容の勉強でなく
ビジネスの勉強をしなさい。」
と。
これはボクの
人生を変えた言葉
になる。
この人に会いに行ったことが
大きな岐路となった

↑ボクの独立を応援してくれた仲間達
30歳 美容室OPEN

↑8年間お世話になった会社の旅行
30歳になり3年で300万を
目標としていたがこの時になんと
440万
まで貯まっていた。
調査した店は300サロン以上
読んだ書籍は1000冊以上
確固たる自信を身につけ開業を決意。

↑OPENの時に撮った満面の笑みの写真
美容室を無事に
オープンすることに。
OPENしたらふつう喜ぶと思うけど
全くなかった。
OPENってお金あれば
誰でもできる。
いかに繁栄させていくか?
それを最初のサロンの時に
分かってたから。
だから予約0で浮かれてても
仕方ないわけで。
さて、
これまでマーケや集客の
勉強はもちろんしてきた。
それでも
運転資金の300万は
みるみる減っていく。
ドンドン、お金がなくなっていった。
顧客0からの独立は
想像以上に厳しかった。
よく経営ではお金がないことを
怖いっていう人がいるんですよ。
でも正確にいうならこれは誤り。
本当に怖いのはお金がないことより
” お金が減ってく加速度 ”
これに人はビビるんだとわかった。
ボクのような時給900円とかで
コツコツ貯めてきた人間が
300万
↓
250万
↓
190万
↓
140万
↓
70万
↓
こうやってみるみる減っていく
その恐怖に耐えられないんです。
何年も積み上げてきた
月日が無駄になる感覚
不安で脳のメモリが埋まり
前向きな思考が止まる。
持ち前の明るさなんて
通用しなくて・・・
借金を背負うのが嫌なんじゃなくて
積み上げてきたものが崩れる。
反対を押し切り四面楚歌でも
自分に手を貸してくれた人の
期待を裏切る
のが何より嫌だった。
その不安
耐えられたか?
もちろん耐えられなかった。
だから寝れなくて最寄駅の
周りを何周何周も歩いた。
歩いて
歩いて
歩いて
歩いて
歩いて
歩き続けた・・・
気がついたらなんと
8時間経って
朝になっていた。
31歳 ついに1人で予約いっぱいに

↑友人の結婚式の髪型を任された
そんなこんなで気づけば
売上は上がり続け、あの時の店長の
150万の売上
に自分1人で到達していた。
もうね・・・
1つだけ自分で自分を
褒めてやっていいですか?
よくやった自分・・・拍手笑
スタッフの離職

↑店長もボクの成功を涙を流してまで喜んでくれました。
お客様が増えてきて1人では
手が負えなくなっていった。
そこでスタッフを雇用することに。
ですがこのスタッフ
・クレームをもらったり
・いうことを聞かなかったり
・商品を盗んでしまったり
そんなスタッフに自分は
摩耗していて。
そしてスタッフをわずか1年も
経たずに辞めさせてしまうことに。
「散々勉強してきたのに」
結局、自分はスタッフを
導くことができない。
その力がなかった。
人望なかった
一生繰り返さないと誓った。
人の導き方、向き合い方、成長のさせ方
を
この出来事をきっかけに
学び直すことになる。
そしてこれが
1年で離職50%を超える世界で
離職0を成し遂げる
という事実へとつながっていった。
32歳 2店舗目への挑戦
その後スタッフを増やし1店舗目の
サロンはスタッフ達に任せた。
そして2店舗目の出店に踏み切った。
今度は倍の大きさのお店をOPEN
そこも右肩上がりに成長・・・
ようやくここらへんで
ボク(自分はうまくいったんだ)
という実感を持つことができた。
ボク(全てが報われたな)
そう思えたし自分に
” 誇り ”
をもった。
そして2店舗目が予約満席に
なったぐらいに親に会いにいった。
うまくいくまで会えなかった。
会おうとも思わなかった・・・
会って
自分の選択は間違ってなかった
ということを伝えてやりたい・・・
そうゆう気持ちがあったんですが
いざあうと
コレからの選択は肯定してほしい
という気持ちの方が強かった。
約4年ぶりだったから
感慨深いものがあって。
まぁ何より嬉しかった。
34歳 ロールモデルサロン

↑3店舗の内装工事の様子
(自分はまだまだやれるハズ)
(ここまでの経験をいかそう)
そして3店舗目のお店をOPEN。
このお店はいわば
ロールモデルとなるサロン
美容室をもっと
出店するための模範店だった
そして
・大々的な看板を出さず
・路面店でなく2階にあり
・店の前を通る人は1日数人
そんな状態でサロンを出店
わずか1年半で
予約が埋まるようになった。
ここでさらに各店舗へ卸す
薬剤をOEMで開発
シャンプー/トリートメント/パーマ液
などを
香り、成分、効能からこだわり
何度もテストしてもらって製品化。
全てを考慮し1から自社で作った
薬剤で全国の店舗を導くことに。

↑自社で作ったシャンプー
35歳 神奈川県のお店を成功へ
↑相模原市のお店
ロールモデルのサロンが完成。
次に必要なのはボクがサポートした
お店を繁盛させていくことだった。
広げていくためには
『僕の元で独立したから成功した』
という実績を作らなければならなかった。
ということでオーナー募集したら
神奈川県で独立したいという人が現れ
OPENからサポートしてここも
1年で人気サロンとなっていった。
この実績をもとに全国でサロンを
広げていくことになった。

↑専門学校の同窓会

↑意外にも独立している人は少なかった
36歳 留学へ

↑現地の食事がとにかく合わなかった
年齢的に遅かったけど
人生で初めての留学に挑戦。
人間が後悔すること1位って
なんだか知っていますか?
それは
” もっと勉強しておけばよかった ”
” もっと挑戦しておけばよかった ”
なんですって。
だからこそフィリピンに留学をした。

↑謎の奇病に襲われた。
とにかく留学はきつかったし
散々な目に遭った笑
しかも朝から晩まで
英語英語英語
それでも挑戦してよかった。
何より出会えた人たちがよかった。
留学に行ってみたらみんな20〜30代。
みんなガムシャラに将来について
考えてて将来に不安を感じていて。
昔の自分と重なる部分が多々あったかな。
(自分って何者なのかなとか?)
(自分っていう存在の価値は?)
(今頑張らないと後悔するんじゃ?)
とかね。
そうゆう意味では本当に
出会えてよかった。
彼女/彼らのいいところはとにかく
動きチャレンジしてるということ。
動くことの大切さを改めて感じ
自分にとって励みになった。

↑台湾人、韓国人、中国人、日本人で乾杯の様子。
留学に来ていた子達は
本当に幸せそうだった・・・
だからこそ自然に
付き合えたんだよね。
(ああ、こうゆう出会い求めてたなぁ)
って
やっぱり
向上心ある人が好きなのかも。
37歳 美容室10店舗に

↑母校がリニューアルということで15年ぶりに専門学校へ
神奈川、東京、福島、大阪、三重・・・
こんな感じで店舗数はドンドン
増えていき10店舗になった・・・
最後に・・・

ここまでがボクの人生。
まだまだこの先も続くんだけど
とりあえずはここまで
よくやった自分(拍手)笑
もしこれを読んでくれたアナタが
この記事を読んで少しでも
背中を押すことができたのなら
僕にとってはとても嬉しいことです。
ぜひお互い後悔しないように
生きていきましょう笑
長々と読んでくださり、
どうもありがとうございました。