自己紹介2

30歳 美容室OPEN

30歳になり3年で300万を目標としていたがこの時になんと

 

400万

 

まで貯まっていた。

 

調査した店は300サロン以上

読んだ書籍は1000

確固たる自信を身につけ開業を決意。

 

ただ独立に関しての問題が2つあった。

↑8年間お世話になった会社の旅行

宗教を信仰する親と対立

うちの両親は宗教家。

 

ぼくは幼少期の頃から
祈りの時間がある家。

 

物心つく前からそれが当たり前、
やがて大人になり宗教からは離れた。

 

そんな両親との対立。

 

独立の価格設定に関して大揉め。

親の主張は

 

「値段18000円?考えられない・・・」

「そんな価格で今の時代無謀すぎる、」

 

というもの。

地方で業界平均の3倍の単価。

 

ボクの主張は

 

「薄利多売に未来はない、高価格にすべき」

 

というもの。

 

この10年独立を目指し
紆余曲折しだした答え。

 

否定否定否定

 

ずっと

 

否定

 

だったがその否定は人生で
1番悲しい事だった。

 

3年寝る間を惜しんで働き貯めたお金で
そのプロセスの上で今の決断をしてる。

 

経験ない人の意見を聞き入れれば

 

事業は間違いなく失敗する

 

と思っていたから。

 

うちの両親は勝気な性格まず折れない。

 

しまいには

 

「祈った方がいい」

「店の名前は占い師に」

 

などという始末。

 

うんざり

 

だった。

 

実家から通おうと思ってましたが
家にいられなくなり家を出ることに。

 

ここから4年間成功するまで
両親と距離を空けることになる。

会社からは批判ばかり

親だけじゃない。

 

会社のマネージャーからは

 

「お前なんかが成功するわけない」

「今の時代に独立するのはリスク」

 

こんな愚行はやめるべきだと
散々言われていた。

 

なので会社からは顧客への声掛けは
徹底的に阻止されていた。

 

普通、美容師は独立する際に既存客に
声をかけて独立をしていくもの。

 

最初から売上があるのと
ないのでは天と地の差。

 

みんな独立する時にお客様の
奪い合いで揉めていた

 

そしてそれを見てきた。

 

もうね・・・本当に
たくさんみてきた。

 

お客様を引き抜く。

 

ボク「恨みを買ってもしょうがない」

 

それをしたくないと最終的に
決意し引き抜きはしなかった。

 

という事で顧客0からのスタート

 

運転資金も少ししかないため
1人暮らしはエリア最低価格の

 

家賃3万円の物件

 

を借りることに。

 

広さ3坪ですからね笑

 

部屋に2人も寝れない極狭物件
よく友達と足を重ねて寝てたな笑

美容室を無事にオープンすることに。

 

人ってね多かれ少なかれ
未経験のことは失敗するもの。

 

運転資金の300万は予想に反して
みるみる減っていきました。

ドンドン、お金がなくなっていく。

 

顧客0からの独立は
想像以上に厳しいものだった。

 

よくお金がないことを
怖いという人がいますよね。

 

これ誤りですから。

 

本当に怖いのはお金がないことより

 

” お金が減ってく加速度 ”

 

に人間ってビビるんです。

 

特にボクのような時給900円とかで
コツコツ貯めてきた人間が

 

300万

270万

220万

140万

 

こうやって減ってく恐怖に
耐えられなかった。

 

3年積み上げてきたという
月日が崩れていくような感覚

 

不安に襲われ続けた。

 

不安で頭が恐怖で埋まり
前向きな思考が止まった。

 

持ち前の明るさなんて
通用しなかった。

 

借金を背負うのが嫌なんじゃない

 

自分が積み上げてきたものが崩れる

 

四面楚歌のような状況でも手を
貸してくれた人の

 

期待を裏切る

 

のが何より嫌だった。

 

その恐怖、じゃあどうした?

 

耐えられたかって?

 

もちろん耐えられなかった

 

だから最寄駅の周りを何周何周もした。

 

歩いて

 

歩いて

 

歩き続けた・・・

 

気がついたら

 

8時間経って

 

朝になってた。

31歳 ついに1人で予約いっぱいに

精神がおかしくなりそうだったし
身内にも頼れないし本当に参ってた。

 

それでも行動を止めてはいけないと
斉藤ひとりさんの音声を聞きながら

 

孤軍奮闘してたんです。

 

*斉藤ひとり=日本一納税した人でなんかいいこと言う人

 

毎日寝れなかったんですがそれでも

(どーせ寝れないならチラシ配ろう)

って徐々に

 

「動こう」

 

っていう気持ちになっていった。

 

こうして少しずつ動き始める。

 

手に持つのは

 

・チラシ1000枚入ったエコバック

・2リットルの水

・手が擦り切れるから軍手

 

を装備。

 

コツコツ周辺から巻いていき。

 

1年で手配りで巻いたチラシは

 

 

120000枚

 

 

勤めていた時は3000枚ですから
いかに覚悟が違うかって。

 

1年のうち365日働く?

→屁でもなかった

 

朝7時からOPENし夜は11時まで?

→屁でもなかった

 

月の食事を5000円に抑える?

→屁でもなかった

 

そんなことより一番
辛いのは相談できないことだった。

 

そんなことより一番
嫌だったことは

 

 

「ほらね?」

 

 

って批判してきた人にとにかく
言われたくなかったんです。

↑友人の結婚式の髪型を任された

 

そんなこんなで気づけば
売上は上がり続け店長の

 

150万の売上

 

に自分1人で到達していた。

 

よくやった自分・・・拍手笑

スタッフの離職

お客様が増えてきて1人では
手が負えなくなっていった。

 

そこでスタッフを雇用することに。

 

ですがこのスタッフ

 

・クレームをもらったり

・いうことを聞かなかったり

 

そんなスタッフに自分は
かなり摩耗していた。

 

そしてこのスタッフをわずか1年も
経たずに辞めさせてしまうことに。

 

「散々勉強してきたのに」

 

結局、自分はスタッフを
導くことができない。

 

その力がなかった。

 

人望なかった

 

一生忘れないように

 

人の導き方、向き合い方、成長のさせ方

 

この出来事をきっかけに
人の上に立つことを学び直した。

 

これが今の7年間
離職0へと繋がっている。

↑店長もボクの成功を涙を流してまで喜んでくれました。

33歳 2店舗目への挑戦

その後スタッフを雇用し1店舗目の
サロンはスタッフ達に任せた。

 

そして2店舗目の出店に踏み切った。

 

今度は倍の大きさのお店をOPEN

 

そこも右肩上がりに成長・・・
ようやくここらへんで

 

ボク(自分はうまくいったんだ)

 

という実感を持つことができた。

 

ボク(全てが報われたな)

そう思えたし自分に小さいけど

 

” 誇り ”

 

を持つこともできた。

 

2店舗目が予約満席になった
ぐらいに親に会いにいった。

 

うまくいくまで会えなかったし
会おうとも思わなかった・・・

 

なんていうのか

 

自分の選択は間違ってなかった

 

ということを伝えてやりたい・・・

 

そうゆう気持ちもなきにしもあらず
なんですがそれよりも多分

 

コレからの選択は肯定してほしい

 

という気持ちの方が強かったんだと思う。

 

約4年ぶりだったから
感慨深いものがあって。

 

何より嬉しかった…

 

↑実家の居酒屋に帰った際

 

34歳 ハサミを置いて気づいたこと

2店舗目がうまくいき
ハサミを置くことに。

 

友人からは尊敬された。

 

自分はその実感を得ていたけど
その反面、虚無感もあった。

 

というのもこの頃あたりから
自分はハサミを置いてたから。

 

美容師は現場に立たなければ
途端にやることがな苦なる。

 

あれだけ時間がなかった生活から
時間がありあまった生活になる。

 

そこからやりたいことをした。

 

・毎日ゲーム三昧・・・

・映画や漫画三昧・・・

・家を解約してホテル暮らし・・・

 

ただこれらも半年もしたら
だんだん飽きてきた。

国内旅行に行ったり

台湾、韓国、中国、なんかに行ったり

グアムやフランスに行ったり

ベトナムやタイ、フィリピンに行ったり…

 

ボク友達は多いほうなんだけど。

 

やはり30代になると
周りは変わっていくね。

 

家庭を持ってる人は遊ばなくなるし
独身だとしても普段は仕事をしてる。

 

会って話していても

 

・友人はみんな仕事を頑張っていて

・なのに自分は仕事せず遊んでいる

 

ここになんだか違和感や周り
とのズレを感じ始めました。

 

今考えるとこの時が1番

 

つまんねえなぁ

 

と感じていた。

 

結局、3ヶ月もしないうちに飽きて
何かをしようと思い・・・

 

3、4つ仕事をしてみたのですが
あんまりやりがいがない・・・

 

ここから自分は何をすべきかを
見つめ直していった。

↑ジュエリーの事業にも挑戦しブランドを立ち上げた

全国に広げるお店をOPEN

(自分はまだまだやれるハズ)

(ここまでの努力をいかそう)

やりがいを求めボクは再び美容の道へ

 

そして3店舗目のお店をOPEN。

 

このお店はいわば
ロールモデルとなるサロン

 

100店舗のサロンを全国に
出店するための模範店だった

 

人生は何かを成し遂げる際
自分の考えに概ねスケールするもの。

 

考えの限界

 

 

その人の限界

 

だから目標を

 

・3店舗にするのか

・10店舗にするのか

・100店舗にするのか

 

で当然日々の行動は変わってくるわけで。

 

普通の感覚で言えば100店舗とか
無謀だけど自分はその目標を掲げた。

 

そして

 

・大々的な看板を出さず

・路面店でなく2階にあり

・店の前を通る人は1日数人

 

そんな状態でサロンは毎日
予約が埋まるようになった。

 

そしてさらに各店舗へ卸す

 

薬剤をOEMで開発

 

シャンプー/トリートメント/パーマ液

 

などを

 

香り、成分、効能からこだわり
127回ぐらいテストして製品化。

 

全てを考慮し1から自社で作った
薬剤で全国の店舗を導くことに。

35歳 神奈川県のお店を成功させる

↑相模原市のお店

ロールモデルのサロンが完成。

 

次に必要なのはボクがサポートした
お店を繁盛させていくことだった。

 

広げていくためには

 

『僕の元で独立したから成功した』

 

という実績を作らなければならなかった。

 

ということでオーナー募集したら
神奈川県で独立したいという人が現れ

 

OPENからサポートしてここも
1年で人気サロンとなっていった。

この実績をもとに全国でサロンを
広げていくことになった。

人が離れてく?

↑専門学校の同窓会

↑意外にも独立している人は少なかった

 

ぼくが友達が多いのは
これまで語ってきたと思う。

 

でもそんな友人達が次第に
離れていくようになった。

 

あっ、ちなみにあんま女友達って
いないから男の友人ね。

 

ある歴史の偉人が
こんなこと述べていて

 

アナタは友人を失敗によって失うのではない。

アナタが成功してしまうことで友人を失うのだ。

 

これ、とても強く感じていた。

 

なんていうのか人は特に男って
権威をとても気にするもので

 

いちいち自分の権威を

 

意識されてるな

 

っていうことが多くなってきた。

 

なので友人達からそうゆう言動や
行動をされるようになっていた。

 

こっちは昔と変わらずフラットに
付き合いたいだけなのに・・・

 

あれ?感覚が違うぞ?

 

ってね。

 

なんというか肌で感じる違和感。

 

これが失うことなんだと悟った。

 

そして人の目や人の行動を通して

 

自分の存在

 

というものがどう見えているのか?

 

を理解することができた。

 

「あっ、俺こんな感じで見えてるんだ」

って。

 

昔、よくした

 

「金ねえからブタメンにうまい棒入れようぜ」

「150円たけえよ、100円で売ってんじゃん」

 

みたいな会話がしたかったけど。

 

もうそんなことはできないんだなって。

やっぱりいろんな世界あるよね

2店舗がうまくいったぐらいかな・・・

 

そのぐらいの頃から実はある
グループに参加していた。

 

それはネットビジネスの会社。

 

2店舗目がうまくいき
何しようか悩んでいた時に入った。

 

もうすごかった。

 

ぼくは経営者ってことで優遇されたけど
参加している人の多くは20〜30代の

 

お金ない人たち。

 

だけど

「稼ぎたい」

って野心のある人たちだった。

 

よくネズミ講って聞くけど
そんなんじゃない。

 

いわばキラキラブランディングで

 

「SNSで稼ぎましょう」

 

みたいなグループだった。

 

もう上の人たちはドカドカ稼いでた。

 

彼らはすごくてギリギリの黒に近い
限りなくグレーなところで稼いでた。

 

もちろん違法かって言われると
そうじゃないんだけど・・・

 

正直多くの人を幸せにしているか?
といえばそうは見えない。

 

というかこれに泣く人が増えるんじゃない?
と思い次第に距離を置いていった。

 

ここら辺から少しずつ付き合う人に
対し考えるようになっていった。

36歳 様々な挑戦へ

↑現地の食事がとにかく合わなかった

年齢的に遅かったけど
人生で初めての留学に挑戦。

 

人間が後悔すること1位って
なんだか知っていますか?

それは

 

” もっと勉強しておけばよかった ”

” もっと挑戦しておけばよかった ”

 

なんですって。

 

だからこそフィリピン留学をした。

↑謎の奇病に襲われた。

 

とにかく留学はきつかったし
散々な目に遭った笑

 

しかも朝から晩まで英語英語英語

 

それでも挑戦してよかった。

 

何より出会えた人たちがよかった。

 

留学校に行ってみたらみんな20〜30代。

 

みんなガムシャラに将来について
考えてて将来に不安を感じいて。

 

昔の自分と重なる部分が多々あったかな。

 

(自分って何者なのかなとか?)

(自分っていう存在の価値は?)

 

とかね。

 

そうゆう意味では本当に
出会えてよかった。

 

彼女/彼らのいいところは
とにかく動いてるということ。

 

動くことの大切さを改めて感じ
自分にとって励みになった。

2つの価値観

こんな感じで話すと

 

・ネットビジネスしている人が悪

・留学に来ている勉強してる人が善

 

みたいな印象ってあると思う。

 

でもぼくは別にネットビジネス
をしている人に拒絶感ってない。

 

なぜなら

 

ネットビジネスしている人って
ある視点で見ると

 

凄く辛そう

 

だったから。

 

ハムスターの回し車?

あるじゃない?

 

なんかひたすらお金を追い続けるんだけど。

 

人よりお金を得てるのに満足できず枯渇した自分を潤わせるためにもがき続ける・・・

 

ボクには呪いにかけられたように見えたんよね。

 

あるとき彼らにこう言われた。

「穴澤さんが使ってるその財布、いいですね」

「それって3万円ぐらいですか?」

って。

 

「これ?100円でもう7年くらい使ってますよ」
っていったら引いててね。

 

何が言いたいかっていうと

「お金がない幸せになれない」

っていう人は大体幸せになれないなと思う。

 

その点、留学に来ていた子達はなんか違かって

 

もうお金の呪縛からとっくに
卒業していてて身が軽そうだった。

 

そして幸せそうだった・・・

 

だからフラットに付き合えたんだよね。

 

やっぱり求めてた答えはこれだなと。

37歳 美容室20店舗到達へ

↑母校がリニューアルということで15年ぶりに専門学校へ

 

神奈川、東京、福島、大阪、三重・・・

こんな感じで店舗数はドンドン
増えていき20店舗を超えた。

 

今も店舗は増え続けているが
もしかしたら100店舗だすまでに

 

やめてしまうかもしれない。

 

諦めるのかって?

 

そうじゃない。

 

ただ数字の積み上げが
つまらなくなってきただけ。

 

1→2

2→3

3→5

5→10

10→20

 

もう20店舗も出すと

 

20→21

 

になってもあまり嬉しく
なくなってきた・・・。

 

「目標達成した気になってんじゃねーよ」

 

って思うよね。

 

まだ半分も届いてないから
もちろんそうなんだけど。

 

でも違うこともやっていきたい。

 

まだまだ挑戦したい。

 

そう思っているだけ。

 

砂時計を持っていたら変わると思う

寿命を砂時計って考えてる。

 

子供の頃ってあんまり上の砂が減らなかったけど・・・

 

ボクは今はもう半分ぐらいしかない。

 

てか体感で言えば半分もないと思う。

 

自分の寿命が砂時計として見れたら
人生が輝く人っていっぱいいるのに。

 

 

めんどくせぇ

 

 

とか絶対言わないでしょ。

 

予定を詰め込むだけ詰め込むよね。

 

常に全力でありたい

本意で物事に向き合いあいたい

 

そんなことを考えながら書いたこの記事が

 

アナタの背中を少しでも押すことができたのなら

 

嬉しい・・・。