
株式会社Rise beauty代表の穴沢です。
ここでは全く売れなかった私が
・予約の取れないスタイリストとなり
・3ヶ月先まで埋まる人気サロンを経営
・マーケティング専門家へとなっていく
そのストーリーを
時系列で載せています。
30歳からの人生はコチラ→
埼玉県川口市に次男として生まれる
埼玉県川口市で生まれました。
背の順は一番前。
3月生まれということもあり
頭も体も成長が遅かった。
ですがクラスでは人気者で
常に周りに人がいる・・・
そんな感じの少年。
学校の卒業文集で
死ななそうランキング
人気があるランキング
大物になりそうランキング
で1位を獲得。
当時は実感ありませんでしたが
今も生きてますし友達も多い・・・
大物ではないですが
今考えると当たってるかもしれない。
18歳 埼玉理容美容専門学校へ
↑埼玉県理容美容専門学校に入学
小さい頃の夢は料理人。
今でも料理は得意、
そしてそれを仕事にしたかった!
ですが同じ業種の父の反対で仕方なく
親戚がやっていた理容室の道へ・・・
やるからには
「いずれ店をもって繁盛させる」
という想いを持って
埼玉県理容美容専門学校/理容科
に入学することに。
20歳 新規OPEN店へ就職
↑当時のお店、コテコテの理容室だった
学校を卒業し西川口にあるヘアサロンに就職。
いずれお店をもつことをこの時から考え
新規オープン店のお店を選ぶものの
給与は11万
よくこんな条件でやったなぁと・・・。
社会保険なし
通勤手当なし
福利厚生なし
考えられん・・・
でも目先のお金などあまり
興味なかった・・・。
仕事を早く覚えればすぐ
昇進するだろうと考えていたから。
↑当時私がカットしたスタイル
今だから言えるけど
お金があればお店はもてる
お金があれば社員も雇える
でもお店が繁盛するかどうかは
完全にオーナーの手腕による。
新規OPEN店とはいえ
最初だけしかお客様は来ない
だから日によっては0人なんてことも。
そんな現実を知っていくことが
できたのはとてもいい経験だった。
21歳 退社して美容室に転身
*当時お世話になったオーナーのご家族
当時は9:00〜18:00時まで働き
その後の練習をする日々。
そもそも営業中に練習すればいいのに空いてる時は
・店内の掃除
・ポップ作り
お客様が来なければ
・お店など汚れるはずもなく
・店の商品など売れるはずもなく
熱意とは裏腹に全く仕事を覚えられない。
ということで1年間はほぼ雑用・・・
仕事の経験を増やせずひたすら
モヤモヤした毎日を過ごし・・・
もう不毛な毎日に
イライラしてたね。
そんな中事件が。
↑当時周りは着々とキャリアを重ねる中
自分だけ何も成長していない気がしていた
ある日、オーナーから
薬剤の調合を頼まれ
言われた通りに薬剤を調合。
でもそれを違うと言われた
(確かに言われた通りに作った)
自分はそう言ったんですが
相手の主張は異なります。
結局
言った言わないの言い合いに・・・
これがきっかけになり
お店を辞めることを決意。
この前から辞める火種を
自分で探してたのかも。
自分が仕事したいのにできない現実
わずか2年で退職を決意。
22歳 アシスタントとして
*1店舗目は理容室、ここは美容室でした。
埼玉県東浦和にある
美容室パスタイム
埼玉では当時かなり有名な店。
選んだ理由は混んでいるから・・・
とにかく混んでる店がいい。
変な言い方かもしれませんが
疲れきりたい
そう思っていた。
1店舗目の教訓を生かし
大きな会社に勤めるのです。
しかしフタを開けてみればここも雑用ばかり。
雑用
雑用
雑用
雑用
雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用雑用
どんだけやらすねん
やらしてもらえる
技術はシャンプーのみ
しかもそのシャンプーすら
1から教わることに。
とにかく自分の気持ちを抑え
必死で仕事をしましたが
「手配りで3000枚ね」
とポスティングをお願いされた時は思わず
「えっ、なにこれ?」
とこれが自分のやりたかったことなのか何度も考えた。
↑面倒を見てくれた先輩
23歳 変わらない日々
23歳になりアシスタントのまま。
この時この道を諦めようか
すでに迷っていた。
なぜならほぼ毎日のように
成長できない日々を過ごしたから
・先輩の不機嫌で怒られていいよ
・給与別に上がらなくてもいいよ
・いくら雑用を課せれてもいいよ
ただ前には進みたい・・・
ただ技術は覚えたい・・・
頼むよ
って常々思ってた。
*もはや仕事も楽しんでいなかった当時
辞めようとは思いつつ1店舗目を辞めた
ことを実はずっと引きずっていた。
うまくいえませんがココを辞めたら
”辞めグセのようなものがつくのでは?”
という自分への不安があったから。
そしてそうゆう人間に
なりたくないと思っていたから。
↑サロンの代表として大会に出場した時の写真
↑当時の担当したモデルののヘアスタイル
24歳 ようやくスタイリストに
24歳の時にスタイリストに昇格、
ここまで4年もかかった。
でもスタイリストになっても
ヒマな時は他の人の手伝い
つまり待っていたのはほとんど
アシスタントと変わらない毎日。
なぜなら売上がなかったから・・・
(入客さえすれば売上も伸びるだろう)
こう思っていた。
でも指名売上は20〜30万。
指名って嫌なもんでね、
担当した人が次自分を指名してくれないと
人間性まで否定された
気になる・・・
もうね、結構メンタルやられる、
そうやって辞めていく世界だった。
*先輩に練習を教わる日々
売上が低いからこそ手が空いてしまう
手が空くから他の人のヘルプに入る
「俺なにをしてるんだ?」
「これ独立できるのか?」
そう思うことが増えついにあることを決断。
それは店舗の移動。
東浦和店ではなく大久保店に移動に
なるよう間接的に社長に働きかることに。
↑美容師やる女性って気が強い・・・
当時の店長は
「お前がスタイリストになったら辞める」
「上が詰まってると成長できないから」
と言ってくれていたが
なかなか独立しない。
ふざけやがって・・・
口だけだろ
ってある時気づいた。
口悪いけど本当にそう感じていた。
美容室は年功序列のようなところが多い
満足に入客できないと思い移動を決意。
25歳 大久保店に移動
*スタイリストになっても熱意は衰えず
ここに移動したかった理由。
それはここに全店舗で売上1位のスタイリストがいたから。
ここの店長は他店の店長に比べ
グンを抜いて売上を出していた。
この仕事ぶりを徹底的に
真似ようとそう思った。
*店長にとにかく気に入ってもらえた
今考えてもこの方を
超える人はいないと思っています。
それぐらい技術を持ってた人。
とにかく繊細な仕事ぶり・・・
普通、髪の毛と言うのは
10~100本単位で切ってくけど
このかたはもはや
髪の毛1本
にこだわるような
そんな方だった。
この人の技術を徹底的に教わる日々。
1人終わるたびに質問に行く毎日。
今思うとここがものすごく
技術が伸びた時期だったな、
もうそれはそれはそれは
嬉しくて嬉しくて
しかたなかった。
本当に毎日輝いてたって思う笑
26歳 答えを探しに・・・
この人の技術を習得するまでに
費やした時間は1年。
この方からは
「もう俺との技術は遜色ない
ぐらいになっているよ」
そう言われるぐらいまでに。
↑次第に後輩も増えて・・・
当時の指名売上は60万。
東浦和の時は30万がいいところ
そう考えると成長したと言えるかと。
でも全く満足してなかった。
なぜなら店長が150万の
売上を立てていたから。
150万だともはやヘルプが
2人つかないと回せない。
技術についてはもう店長から
認められてたのに売上が上がらない
技術でなく接客の問題なのか?
自分には答えが分からない。
なぜか指名されない。
そこで東京で行われる
日本1の技術を見にいくことに。
アフロートの宮村さん
この人が当時は日本1だった。
そんな宮村さんの技術を見て感じたこと
(うちの店長と変わらない)
(うちの店長の方が上では?)
カット理論も切り方も
上手ですが驚きはない。
技術というより華やかで豪華・・・
そんな感覚を受けた。
↑気づけばNo.2的な存在になっていた・・・
27歳 多くの仕事を経験
その後も売上は平行線のまま。
答えを探そうと思って見つからない・・・
そうは言っても
動かなくてはと思ってた。
当時のぼくの貯金は0
ウィッグ100体買った
10万円のハサミ買った
だからお金なんて貯めれない。
調べると開業に必要なお金は900万
融資を受けるには自己資金が
3分の1は必要なので300万
もうコツコツ貯めるしかなかった
↑服は先輩にもらっていた、もう超貧乏
当時の手取りは20万円ぐらい。
節約して月5万円を
貯めたとしても5年かかる・・・
(時間を無駄にしたくない)
こう思い副業を決意。
ここから毎日19時にはサロンを出て
深夜まで色々なところで働くことに。
居酒屋、精肉店、清掃業、問屋、スナック、本の仕分け、バー、ヘアメイク、コンビニの夜勤、うどん屋、イタリアン、整備工場、ライン工、アパレル、饅頭の詰め物、ホストの食器洗い、など
休日は丸一日働きっぱなし。
365日働く日々を3年間続けた。
28歳 答えが見つかる
↑相変わらず売上は伸びない・・・
これだけやって
自分の努力と現実の結果が合わない。
毎日、そう思いつつ
(自分は美容師は向いてないのでは?)
という事を考えるようになっていった。
独立の資金は貯めてましたが
開業してうまくいかせる自信はない。
そんなある時
「美容師 やめたい」
とネット検索をしていたら
あるブログ記事を見つけることに。
もうそこに書いてあることがあまりにも
衝撃的の内容
たった。
私はそれをみていてもたっても
いられず連絡をすぐにした。
お会いできないかとの交渉をして
お返事をもらい会うことに。
↑その方のイメージ
カフェでお会いした私は
・売上が全くあがらないこと
・美容師を続けるか迷ってること
・どうしたらいいかわからないこと
失礼にも相手が喋る前にベラベラと
自分のことをひたすら話していた。
気が済むまで話をした後
その方は私にこう述べる。
「君はとても勉強家だね、だからもう
美容師の勉強はしなくていい」
まさに耳を疑う一言だった。
私「勉強しなくていい?」
その方は続けて
「これからは美容の勉強でなく
ビジネスの勉強をしなさい。」
と。
これは
人生を変えた言葉
だった。
聞くとこの方はさまざまなビジネスを
している元美容師の実業家だった。
29歳 独立を目指して
私はビジネスの勉強を開始。
図書館に通い詰め
ビジネス本を読み漁りまくり。
ビジネスの勉強をすればするほど
今までどれだけの時間を使い
いかに遠回りをしてきたのか
猛烈に痛感していた。
その今までの後悔の力が学びを加速させ
図書館にあるビジネスコーナーの本を
全部読んだ
マジですこれ。
↑可愛がってた後輩
サロンにいるときに
暇なときは勉強する。
仕事が終わってバイト先でも
働きながら本で学んだことを考える。
・飯食いながら勉強
・移動しながら勉強
・バイク乗りながら耳で音声学習
当時お金なくて、
Wi-Fiも今みたいになくて、
だから中古のパソコンを片手にイオンのフードコートで100円のソフトクリーム買ってネットの勉強した。
「惨めだな」
って思わなかったかというとそれは嘘で・・・
私(なんか惨めだな)
ってやっぱ感じていた。
夜、みんな家族でご飯食べている時に
ひとりパソコンを使いイオンのWi-Fiに繋いで
当時勉強をする人っていなかったんよね。
でもだんだんそうゆうのも慣れるもんで。
海に漂流して何日も彷徨い
飢え死にする経験をした人が
死ぬぐらい食べるように
死ぬぐらい学んでいった
こんな毎日を送り続けた。
こうしてようやく独立への道が
少しづつ見えてきたんです。
↑ボクの独立を応援してくれた仲間達
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